日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。

(6月からお休みしていましたが、再開しました。)
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終の住処


 「マリーゴールドホテルで逢いましょう」と云う映画がテレビ放送されていたので観てみたら、一遍で大好きになってしまった。

 マリーゴールドホテルにやってきた老人と呼ばれる齢の彼らにとり、マリーゴールドホテルは終の住処になるのだろう。何もしないことが最大の罪であると成人した頃教えられたことがるけれど、此の映画の中にも本当の失敗は何もしないこと云う科白がある。特に現政権(共謀罪等)が嫌で嫌で日々憂鬱になってしまうことと自分と云う個を一旦切り離さないと、と想った。
 それなり自分にも終の住処の希望はあるものの、齢も熟してなく具体的でない。どれもこれもそんなふうにあたしは未だ道半ばだ。ただ人は自分の基となるものを作ってくれた処(単に場所であったり、或いは魂の居所であったり)へ帰ってゆくのだなと朧げながら感じていたりする。大きな川と草と大地、と夏の光と雪の日と、猫、が自分に染みついたものだと想うようになったときから、描くものがひとつ増えた。其れがはっきり見えるようになるのはもう少し先になるだろう。
 齢をとることは、老人になることは、全く酷いものだと言う人もいるけれど、何をどう述べても他のことと同様個人の見解に過ぎないのではないだろうか。少なくともあたし自身は子供の頃より若い頃より中年である今の方が全くいい。昔より言葉を、自分で、知っただけでもどんなに助かっているかしれやしない。純粋でもなければ、素直でもなく、夢もなかった。生死観をきちんと持ったのも参拾になろうかと云う頃だった。透き通るような気持ちになる日も今はある。
 やれやれと想うことがこれから増えていくだろう。髪が白くなる頃、昨日より今日が好きと今のように想いたいけれど、其れはわからない。けれど、知らなかった気持ちを知るようになることだけは確かなことで、其れに対しあたしはやはり両手を合わせ泣くに違いないと想っているのだけれど。

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