日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。 忍者ブログ

頁を戻る頁を捲る

いつのまにか百日紅も


 辺りが木槿でいっぱいになったと想っていたら、いつのまにか百日紅も咲く季節になっていた。あらかじめ棚の壱番上にのせておいた麦藁帽子の入った籠を下ろし、其の中からTシャツと麻のカーゴパンツにも合う黒みの濃い茶色のものをとった。麦藁帽子をかぶるのは、百日紅の花が咲いたのを目安にしている。よっつとも自分で編んだものだけれど、ひとつはかなりくたくたになってしまっていて棄てる時期に来ているかもしれない。
 今日は日傘は要らない。曇っている日は日光アレルギーのことなど気にせずに済む。こう云う日ならサンダルを履けるから、サボでないものをひとつ買おうかと想うのに、今年もサボとスニーカーで済ませることになりそうだ。
 まぶしい空の下でみあげるのが本当はいいのだろうけれど、そうすると何分もみあげているにはいかず、百日紅を見に行く日は大抵小雨の降りそうな日になってしまう。或の花を見ていると、人生(と呼べるまで経験してないかもしれないが)や人間の残酷さだとか、けれどほんの少しは驚くくらい美しいところがあったりすることや、時がやわらかでやさしいこと(子供の頃がよかったとも純粋だったとも、帰りたいともちっとも想わない)が頭に浮かぶ。
 アスファルトにまるでレエスのような或の花が落ちていたなら、今年もひとつ拾って家に持ち帰り、水をはった皿に浮かべ窓辺を飾ろう。朝のやわらかな陽射しに或の花も声をたてずに笑うだろう。

拍手

      郵便箱

   
      * メールは表示されません