日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。 忍者ブログ

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言葉


 昨日作った茶封筒を郵便ポストに落とした後、アネモネでも入ってないかと覘いた花屋の店先に菜の花をみつけ購入した。さすがに原っぱで失敬してくるものと違い、随分茎の太い菜の花だった。僅か参本ばかりだと云うのに、切り花を手に入れたら花瓶にしようととっておいた瓶にはとても入らなかった。其れで急遽既に棄てようとビニイル袋に入れてあったインスタント珈琲の空き瓶を出してきて活けた。そして、家の中でも陽射しが入り明るさの壱、弐を争う玄関に花瓶を置いた。
 菜の花を見掛ける都度思い出すのは、昨日手紙を書いた彼女の顔だ。それほど一緒の時間を過ごしたわけでもなく、手紙で話すことが殆どだったのに、何故だろう・・・。彼女ばかりでなく或の人だって或の人だってそうだ。或の人なんて手紙もそうやりとりしたわけでないのに、まなざしが浮かぶ。想っているよりずっと多くのやさしいものをあたしは貰っていたのだろう。其れは言葉にならない気持ちでなく、言葉にできない気持ちでもなく、言葉にない(口にしない文字にしない言葉と言葉の間にあり言葉にない)気持ちだろう。其れを言葉にするような、もしかしたら無粋なことを自分はしているのだけれど、其の侭が壱番よいことだとは決して想ってなく、言葉にないものを言葉で表現しようとするのも言葉だろう。
 花瓶の高さに目線を合わせ菜の花を眺めようと玄関にしゃがむと、昨日郵便ポストに落としたふくらんだ茶封筒のふんわりした感触を思い出し頬がゆるんだ。

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冬の星


 硝子戸が一面薄墨色に染まり、外が暗くなってきたことを知る午後伍時を過ぎた頃の時間、雨戸を閉める為硝子戸を開けた途端冷たい空気に襲われた。想わず肩をすくめてしまうものの、それでも其の侭されるがままにしているひとときが好きだ。冷たい空気は人を凛と立たせてくれたりもする。
 見上げれば空は薄藍色に変わり、星をひとつぶ抱いていた。星を吸い込み透明感を増した空とぽつりぽつりと灯りのともり始めた窓に日暮れは彩られ、冬ならば人通りが少ない分辺りはしんとし余計日暮れは不思議なものに包まれて見える。其れは何か神聖なものにさえ感じられ、今日も悲しみを塵にしあちこち落としてきてしまったことを反省する。
 どうして悲しみと云う奴は消えてなくならないのだろう。かと言ってあとからあとから溢れ出てくると云うようなものでもない。悲しみと云う言葉さえ知らない頃から胸に張り付き、古びるでもなく新しくなるわけでもなく、また大きさを変えるでもなく居座り続けている。
 おとついの晩、嫌な眠り方をした。夜中目を覚ますと膝を抱き背をまるめた恰好で寝ていた。隣で眠っていた筈の亀はいなくなっていた。夢を見ていたことは確かなのだけれど憶えてない。なのにてのひらには爪の跡がついていた。きっとまた蔦の夢でも見たのかもしれない。樹木に絡まって育ち、やがては樹木を縛りあげ枯らし、そうして生きる蔦には、どれも女性の名がついている(とあたしは信じている)。其れが蔦で、自己主張して生きるのが蔦であり蔦には他が無い。ただそれだけに過ぎない。あなたはあたし・・・(を)、と口にしたところで蔦の存在はあたしから消えてしまう。蔦と関わったあたしには躯に残った縛られたような痕があり其れが余り痛むので其れは同時に胸の痛みでもあると勘違いしてしまうけれど、傷はただの傷に過ぎない。傷に悲しみが生じても其れは蔦に対してでなく蔦と関わったことにでもなく、あたし自身が生きていくうえで生じた避けられない他の悲しみたちと一緒なものだ。
 冬の星が流れたなら、冬の星に自分の好きな女性の名で呼んでみたい。自己主張しなさいと幾度も教わってきたけれど、自分らしさえ持とうとしなくてもいいのだと此の頃想っている。学ぶことと頭を空にすることを繰り返すうち、身についていることがあればそれでいいように想う。朝に洗われ日暮れに洗われ、それでもあたしは随分汚れた生き物でしかないのだろうけれど、それだから無欲さや誠実さを願ったりもするのかもしれない。
 頭を振るとまた塵になった悲しみがあたしからぽろぽろと剥がれ落ち、夕刻の冷えた空気の中に散っていった。

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何もしたくない日


 何もしたくない日はゆっくり珈琲を飲む。それから静物のひとつになることを決める。

 例えば古びた文庫本の壱頁になってみる。それから其れを捲る誰かの指先を想ってみる。すると指の長さから手の大きさがわかり衣服の袖が想像でき衣類の色が見えてくる。其の人は何を想い頁を捲っているだろう。なにしろ此のあたしの想像する人なので、何かしらの悲しみを胸に内包し他人は話すことなく過ごしている人には間違いないだろう。
 例えば窓辺に置かれた鉢植えの花にもなってみる。花の名はアネモネかダリア。花の色が赤いのは泣き腫らした眼を映しているからだ。花は風に吹かれたいと想っている。けれど今は無理と知っている。細く弱い茎では風に吹かれれば壱遍で折れてしまうだろう。赤い花も悲しみは誰にも話さない。経験を述べなさいと促さらたら話もするだろうけれど、其れは悲しみを話すこととは違うと花は想っている。
 例えば小川の水面に突き出た石にもなってみる。太陽が高い位置を示す頃、小川に今日も壱羽の鳥がやってきた。鳥は茶と灰と白とがみごとに混じった繊細な色の羽を持っている。其の羽が濡れてしまわないよう石の上に降り上手に躯を折り嘴を小川の水面に突き刺し水を飲む。小川にはいつも休みに来る。水は丁度いい冷たさで咽を存分に潤すことのできた鳥はすぐに飛び立つことをせず、おもむろに歌い始めた。曲はROSSOのシャロン。悲しみが溢れそうになると鳥は決まって同じ歌を口遊む。悲しみを溢れさせない歌が此の世界にあることを、鳥はとても嬉しく想っている。其れは石とて同じことで、鳥が石に糞を落としていくことさえ石は迷惑に想っていない。
 何もしたくない日はゆっくり珈琲を飲みながらそんなことを想っている。他人に話したところ、夢見がちな奴だとか暇でいいねとかろくなことを言われなかったけれど、何もしたくない日はこうしているのが壱番いい。

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此の家での過ごし方


 此の家で過ごす弐度目の厳冬になった。
 パジャマでなく上下スウェットを着て眠ったり、靴下の上に更にもこもこの靴下を穿いたり、シャツやタイツを身に付けたり、としているうち寒さに幾らか躯がついてくるようになったように想う。最初の冬は逢う人毎、家が寒いと苦笑いを交え話していたのに、此の家だから特にどうと云うのもなくなった。陽が全く部屋に入ってこないのも、ほんの弐週間ばかりであることもわかった。もうじき布団もなんとか干せるようになるだろう。
 肆時半に起きると真っ暗だけれど、スウェットを着て寝ているからか躯が温まっている為朝も想うほど寒いとは感じない。顔を洗うのも湯でなく水で平気だ。雨戸を開けるのは陸時半、洗濯機を廻すのは漆時で塵を出しに外へ出るのが漆時半。そろそろ此の家にも陽射しが届きそうな捌時に洗濯物を干し、浴室の掃除をし部屋の掃除をし、それから窓をきいろく染めた陽射しを見乍ら珈琲を飲む。あとは亀と遊んだり、がじゅまるたちの具合を見たり、炬燵に足を入れ編み物や縫物をしたり、棚の整理をしたり、手紙を読み返したり・・・。そのうち昼になり買い物に出掛け、通りの樹木や名前の知らない草や空や川の水や陽射しを眺めながらゆっくりと歩いて季節ごと息をいっぱい胸に吸い込む。時々無性に苦しくなる日があるから、そうして何でもないことをひとつづつしながら過ごしていくことに安堵のようなものを覚える。
 自分のことを笑ったり、卑下したり、ネタにしたり、鼓舞したり、・・・といろいろ方法があるようだけれど、淡々と過ごす暮らしがあたしはいい。どれがいい悪いでなく、素敵な人がしていることはどの人のやりかたもきらきらとしたものであるように、此処での此の家での過ごし方をみつけていきたい。手がかじかむのが治まってきたなら、またトンカチと釘を持って棚でも作ることにしよう。これからもっと過ごしやすくなるよう。

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新しいブーツ


 気付くと両足ともブーツの底に穴が開き小石が詰まっていた。道理で履き辛かった筈だ。
 今まで履いていたのと同じ防水仕様で底が滑らないようにできているブーツを探しに行くと、値はだいぶ下がっていたものの物が余りなかった。其れでもう冬物は処分セールになっていることを知った。どうもあたしはそう云うことに疎くていけない。
 丁度いいサイズが壱足だけ残っている黒いブーツをやっとみつけ其れに決めようかとタグを見ていると、今履いているブーツと同メーカーのものらしいことがわかった。また同じようなブーツを・・・と一旦は躊躇い、それからすぐに履きやすかったことを思い出し購入した。
 雨の日も雪の日もかまわずに歩ける靴が嬉しい。雨の日も雪の日も気にしないで着ていられるコートが愉しい。特別なものはあたしに必要ない。こじんまりした簡素なデザインものが好きだし、其れに使っているうちにいつのまにか特別なものになっているものも多い。
 今年は疎遠になっていたともだちにも逢いに行きたい。だんだんだんだん元気になってしっかりしてきた顔になったように想う。いろいろいろいろともだちにもあったろうし、あたしもそうだった。いつもいつも元気ではないけれど、ともだちに逢ったら笑って元気と言えそうな気がする。新しいブーツにもたくさんの思い出を残したい。

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