日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。 忍者ブログ

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比喩


 言葉が発せられているようにと想うのは文字を紡ぐ者でなく、音楽が流れているようにと考えるのは音を奏でる者でなく、絵を描くようにと焦がれるのは筆をとる者でなく、比喩は満ち足りることもなければ干ることもなく、また厭きられることもなくわたしたちの世界に溢れわたしたちに沿いわたしたちの手に其々ひと粒の木の実を滑り込ませる。
 比喩は言葉足らずな想いに手を貸し、探しても探しても言葉と一致することない言葉にできない想いのすぐ近くへも比喩は飛んでいき、時に誰かへの壱番の使者にもなってくれる。
 比喩を傍らに置き口を開くあたしに、本音を言えだの誤魔化すなだのと言うならあたしはもう何も言えなくなる。それきりストレートな心は帰らない。

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森林公園にて


 森林公園へ出掛けるのは久し振りだった。緑がまぶしく、自転車で走る途中何をそれほどまで胸に溜め込んでしまっていたのだろうと想うくらい何度も息を吐いた。きっと何が苦しいと言うのでなく、そんなふうに呼吸をしないから日々が重たくなってしまうのだろうか。
 白いたんぽぽを見るのも久し振りだった。以前はひとつふたつ咲いているだけだったのに、種子が飛んだのだろう。別の場所から持ち帰った種子もあたしの植木鉢で何度も花を咲かせ何度も種子を飛ばした。引っ越しの車に植物は持ち込めないと言うので、前のアパートに置いてきた。建物の下にかなり大きく空いていた穴に土を入れ、根が張るように祈った。持ち主の素性を知り自分は逃げ出してきたくらいで、穴が埋められることはないだろう。以前の日々を想い憂鬱に引き戻されそうになっていると、鶯の声が耳に入った。壱羽が鳴き出すともう壱羽が・・・と云うように、鳴き声は増え、少なくとも拾羽はいることがわかると頬がゆるんだ。
 今日の目当ては自生する桜草だったけれど、辿り着くまでに八重桜や椿や・・・沢山の春と逢った。一斉に春は出てくる。笑のように零れ落ちる春を受け止めるにはあたしの器は小さく、ただ春に降られているばかりだった。

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山櫻


 家を出、小さな橋を渡ると、櫻並木の通りに出る。其処の櫻は山櫻で染井吉野より少しばかり早く開く。其のことだけでも引っ越してよかったと想う。
 或の部屋は息苦しかった。垢の沢山付いた生活や人付き合いは直そうとしても、自分だけの問題でないものを動かすには限りがあった。引っ越せば気分くらいは変わるだろうと引っ越してみると、殆どのことがまるでひっくり返したように変わったのには驚いた。そう云う時期でもあったのだろうか。
 満開の山櫻を眼に入れ、去年の櫻のことを思い出していた。丁度剪定中に自転車で通り掛かったのをいいことに、枝垂れ櫻の枝を戴いてしまった。自転車の籠に入れているときにはそう感じなかったのに、いざ家の中に入れてみると随分立派な枝だった。家の中にあれほど立派な櫻があるなんて、後にも先にもあれが壱生に壱度のことだったかもしれない。
 夢のような春だったと想い乍ら、今年も随分と・・・、とおとついの夜のことを思い出すとまた泣きそうになった。

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誕生日に


 チケットはコンビニエンスストアで発券して貰うような味気無いチケットとは全く異なるものだった。其処に戸籍上自分が産まれた日付が印刷されてあった。
 ライブが終わると暫く待たされ、そのうち順番を呼ばれ階段に並ばされた。何か語り掛けてもいいのだろうかと考えていたけれど、何も浮かんでこなかった。
 順番が来て其の人の前に立ったとき、落ち着いているようでいて頭は飛んでしまっていたのだと想う。あたしはいつもそうだ。傍から見ると冷静で無表情であっても興奮していたりする。其の人の手は、他の人の手と同じように熱かった。きっとあたしの手を冷たいと感じたに違いない。其の人とした握手は、握手と言うより、互いにふれると云うような握手だった。言葉数の少ない人其の侭の人が眼の前にいて嬉しかった。同じ処に立っているのも嬉しかった。緊張していたり気を遣っているときに限り、此の頃あたしはよく話すようになっていて、一瞬戸惑ったあとですらすらと話し掛けている自分が其処にいた。ぎゅっと手を握ることもなく素っ気無く終われてよかった。
 後ろにいた人は女性だったけれど、其の場を後にするとき握手する姿が眼に入った。両手で彼の手を握りなにやら話し掛けている様子だった。きっとこんな日があることを誰も想像していなかっただろう。
 バンドが解散した日、其の壱度だけ客席から大声で其の人の名をあたしは呼んだ。ひとりでうたい始める彼の姿を全く想像できなかった。

 帰りは小雨が降っていた。電車の中で泣きそうになった。何年もの想いが頭の中をぐるぐる廻るのを感じると、素っ気無く終われてよかったとまた想った。

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猫に恵まれ


 猫に恵まれたねと言われ、素直に肯いていた。

 憶えのある最初に一緒に暮らした猫は、天井裏で毎夜走り回る鼠たちを追い払って貰う為、親戚の家から連れられてきた猫だった。既に親猫になっていた彼女はたいそう温和な猫で、其の頃猫を見ただけで半べそをかいていたあたしでも背中を撫でたい衝動に駆られ、しだいになかよくなることができた。なにより賢い猫で鼠取りが上手だった為、母の友人の家に数箇月預けられたこともあり、其のときあたしは随分ぐずった記憶がある。或る日其の猫がいつものように外へ出ていったものの壱週間ばかり帰って来ず心配していると、夕方になり頬を腫らして帰ってきた。そしていつものように一緒に布団に入り眠ったものの、翌朝目覚めると彼女の姿はなく、それきり彼女は帰ってこなかった。
 其の後暫くして新しく猫がやってきた。近所の人が貰って欲しいと置いていった猫は全く躾がされてなく、数々の粗相をしてしまう有様だった。最初の猫が忘れられなかったあたしは彼女に名前も付けず、最初の猫がどんなに利巧で穏やかな性格だったかとつとつと彼女に語ってばかりいた。それでもやってきたのが夏休みだったこともあり、壱番暇な自分が自然と面倒を見る羽目になった。御蔭であたしは壱日中彼女を見張り夏休みを過ごし、夏休みが終わる頃には猫は余りな粗相はすることはなくなった。そうして休み明けの朝になり学校へ行こうとすると、彼女は鳴いて何処までも追ってきた。其れは拾日ばかり続き、やっと追いかけてこなくなったと想っていると、今度は帰宅すると欠かさず庭の向こうから飛んでくるようになった。いったいどうやってあたしが帰宅することを猫は嗅ぎつけるものなのだろう。他人に話すと、其れは犬だよ、と言われるのだけれど、あれは間違いなく猫だった。其れもあまったれで泣き虫で、子を孕むと腹を撫でてくれと御産の手助けをさせるような猫だった。それでも屋根に上り降りられなくなり助けに行ったのはどっちの猫だったかはっきりしているのに、魚の大きな骨を歯に詰まらせよだれをだらだら垂らし鳴いていたのはどっちの猫だったか、梯子を使い曲芸させたのはどっちの猫だったか、はっきりしない。
 どちらの猫にしても壱枚の寫眞も無く、模様さえぼんやりとしか憶えていない。ただ、あれほど我が儘に振舞っていただろう自分に対し、愛してくれたとはっきり想えるから不思議だ。あれから大人になりいろいろな人に逢ったけれど、未だに彼女らと過ごしたことが他と関わることのあたしのいっとう上にある。

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