日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。

(6月からお休みしていましたが、再開しました。)
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小雨の降る日に


 雨の中を歩くと呼吸が軽くなる。雨の日は魚に呼吸を合わせてみたくなる。気が付くと、掠れた声も気にならずに歌をうたい、通りの樹木を撫でるように手を振り歩いていた。そうして、いつかの秋を、今年の参月参拾壱日の夜を思い出し、泣きそうになったり笑ってしまったりした。
 日々を辛いと言ってしまうのは、簡単なのか、難しいのか、あたしには判らない。ただ辛いと言い其処に溺れていった人たちのことなら知っている。浮かんできた姿は眼にできなかったので、自分は口にできないだろうなと想っている。あたしが底まで透明な湖だの川だのを想い浮かべてやまないのは、そう云うわけだったりするのかもしれない。
 日々、胸は重い。けれど・・・。だから、軽やかに、すべるように、呼吸の軽くなる雨の日はせめて通りを歩きたい。

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秘密のノート


 急に冷えた、と感じ衣裳ケースを漁り壱枚羽織ったあとで、夏物と冬物の入れ替えをした。拾月肆日、らんまるの誕生日、ジャニス・ジョプリンの命日、渋谷公会堂の消えた日、此処で暮らし始めた日、に。

 此の間小さなノートをおろした。表紙の赤いのと緑と白いのと同じようなのを参冊持っている。白いのは棚に残し、赤いノートは此処に越してから飾った小物を記す為のものに、緑のノートは観た映画やライブを記す為のものにした。
 誰に見せるでもないことを(書き取り)続けていくのは愉しい。パターソンの映画を観て其れを思い出した。
 好きな暮らしをする為、あたしは此処に越した(のだと想っている)。まる弐年が過ぎてもこれだけかと想ったり、ここまではと想ったり、しているけれど、ゆっくりとひとつひとつ暮らしに足されているものを感じてもいる。
 今夜は此処に来て知った魚、黒そいの煮付けを作って食べようと想う。

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怒り


 怒りが治まることはあるのだろうか。思い出し思い起こす都度怒りは激しくなる。
 勘違いしていけないのは、其れが全てではないことであり、其れが自身と云うわけではないことだろう。
 沸々とした怒りはあたしのほんの壱部に過ぎないとわかっていても、時折其の激しさに呑み込まれそうになる自分がいる。そうして寸前のところで(たぶん殆どの人がそうであるように)我に返る。
 怒りは相手が物事を逸らしたり誤魔化したり軽く扱ったりすることで消えないものになってしまう。全身で押し返してきた父を思い出すと、あたしは自然と笑っている。穏やかな気持ちに包まれたりもする。
 数えられる怒りはよっつばかりあたしに付いていて、繰り返し、入れ替わり、やってくる。両手を握っていたらてのひらを爪で傷付けてしまった。取り敢えず爪を切ろう・・・。他に何も思い浮かばない、そんな日がある。

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自転車に乗り


 久し振りに履いたコンバースで少しばかり足を痛めてしまったように、久し振りに乗った自転車は慣れるまで重く感じた。坂道どころか平地でも肆ギアがきつくひとつ落とさないと始めは想うように走れなかった。
 曼珠沙華はもう終わりで、道の端は薄やセイタカアワダチソウと入れ替わろうとしていた。秋桜やあかまんまや名前を知らない赤い小さな花がえのころ草の間から顔を出し、ときどき烏瓜の実が眼に入った。レエスのような白い花も可愛らしいけれど、瓜坊みたいな青い実も真っ赤に染まった実も烏瓜は可愛らしい。気が付くと其の都度自転車を止めカメラを向けていた。途中猫(たぶんアメリカンなんとかと云う種類)に逢い声を掛けると返事をしてくれたので、其処でも自転車を止め声を掛けると猫は声をける都度返事をしてくれた。けれど仲良くなれるまで其処にいるわけにいかず、カメラを取り出すことはなかった。猫とは大抵そんな関係で終わる。
 芙蓉(あたしが好きなのはどうも酔芙蓉であるらしい)をみつけた頃には尻が痛くなっていた。いったい此の秋の景色はいつ無くなってしまうのだろう・・・。ひとつふたつとそっと消えていったものを想うと、此の頃胸が抉られるような気持ちにさえなる。どんな小さなものでも戻すことは容易くない。あたしは何も守れないかもしれない。壊さないよう奪わないように暮らしていくことで精一杯かもしれない。それでも時々口にせずにはいられない。
 今日はやまごぼうを見ることはなかった。

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郵便局にて


 数圓足りなかったり弐圓ばかり間違えて多く貼ってしまったり丁度だったり、と切手をまちまちに貼った封筒を抱え郵便局へ向かった。大抵は午前中に用を足すことが多く混んでいたりすることはないのだけれど、今日は午後になってしまい窓口の前に列ができたり消えたりしていた。
 あたしが渡した封筒をひとつひとつ重さを測り料金を確かめる女性が、渡したうちのひとつを棚に残しても仕方ないことだと想った。あれは・・・?と尋ねると慌てて失礼しましたと言う女性の物腰がやわらかく印象がよかったので、自分の口から面倒臭くてすみませんと言う言葉がすらすらと出てきた。すると女性は素敵な笑顔を見せ応えてくれた。
 消えたかと想うと、再び波は押し寄せ、胸の高さまで上ってくる。「パターソン」を観てきてから毎日こうだ。自分がいいと想ったこと、そうして過ごしていきたいと想ったこと、・・・それからはことごとく軽くあしらわれ夢見がちと笑われ、あたしは縮んで何年も過ごしてきた筈だった。なのに「パターソン」を観てきてからは、それでいいと、そのままでいいと、だがそこにもっと身を浸し呼吸を合わせることをした方がいいと、耳の内で声が止まない。あたしの、此の時間、で、其れを知れたことが例えようもなく嬉しいことは、あたししかわからないことだろうけれど、こんな気分になれる日が来るなんて想わなかった。自分を肯定することを覚えなければと想い自覚を自分に言い聞かせてきたけれど、其れも吹き飛んでしまった。
 日々に耳を清ませる。(受ける。)呼吸をする。(受け取る。)生きる。(朝毎だ何も記されていない雑記帳を手に。)(何者かになる必要も無く。)
 封筒に入れたのは、おそらく此れで最後になるだろう詩をまとめた冊子だった。

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