日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。 忍者ブログ


 バスを下車した男性は振り向くと、バスに御辞儀をした。運転席からよく見えるとも想えず、運転手が見ていたわけでもない。胸の内に清々しい気持ちが生まれ、眠気で重かった頭は幾らか軽くなった。
 弐、参日前近所の小さな橋ですれ違った女性にも、同じような気持ちになった。ふたりとも自転車に乗っていた。遠くからでも女性が老齢と判ったので自転車の速さを歩くよりゆっくりにし橋を渡ろうとすると、女性は橋の手前で自転車を降りた。それで会釈し急いで渡ろうとすると、女性の方も会釈をした。橋を渡りきる辺りでもう壱度女性に会釈をしすみませんと声を掛けると、女性からも会釈とすみませんの言葉が返ってきた。もしかしたらあたしが渡り切るのを待つ為にだけでなく、橋の手前の僅かな段差に自転車を降りたのかもしれない。女性のまるまった背にそう想いながら、胸の内で気をつけてと声を掛け、橋を後にした。
 相手が自分に何か働きかけてくれれば、自分にも礼が出てくる。けれど、特にそうでなければそう云う気持ちにならない。バスを下車する際、一応礼の言葉は述べてはいるけれど、或の男性のような礼をしたことが自分にあったろうか。日常の中であたしが忘れ、埋もれさせているものは少なくないだろう。道を歩いていても、道幅いっぱいに歩く家族や談笑で夢中になっている会社員の男女たちの方に眼がいってしまいがちだけれど、当たり前のことをないがしろにしない人に眼がいく者になっていきたい。明日には此の想いを忘れてしまっても、いつかまた思い出せるよう日々を過ごしていきたい。

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      郵便箱

雪の日


 急に外は静かになった。結構強い降りだった雨は止んだのだろうかと雨戸を開けると、ちらちらと動く小さな白いものが眼の前に現れた。
 予報通り雪になった。拾壱月に降る雪は、赤と黄に染まった町をあっと言う間に変えてしまう。

 なんで雪が降ると胸の内が静かになるのだろう。そうしてひとりで笑うことができるのは何故だろう。それから、おかえりと耳元でささやく声は何だろう・・・。其れが不思議で仕方なく、いつものように外を歩いたけれど、今回も答はみつからなかった。けれど其れでいいのだろう。
 雪の日は、(たぶん)乗り捨てられた自転車やブルーズの記憶や死んでしまった猫が傍まで寄ってくる。歩くときはみな一緒だ。雪の日に忘れ去られたものはなく、みな世界に抱かれている。嗚咽を漏らすほど苦しかった過去も、一緒になりおとなしく歩いている。だからだろうか。死ぬときは晴れた日より、こんな雪の日がいいと想ってしまう。
 青空を見ると今でも胸が逸る。けれど、壊れた玩具には其れが辛く、躯を引き摺りながらでも歩ける雪の日に安堵する。其の方が青空の突き刺さる痛みより、痛みが強いのに、どうしてだかやさしいと感じてしまう。雪の日の痛みは焦げた匂いのする胸の焼けた痛みだ。ブルーズの歴史について書物を読んだあとで聴き直したブルーズに感じた痛みにも似ている。
 泣きながら笑うことを覚えたときから、あたしは自分自身と随分距離を短くした気がする。

 ふんっ、と冷えた空気を鼻で吸うと、雪の温度が躯の中に入ってきたので家まで持ち帰ることにした。或の木造の古い家なら、家ごと一緒に歩いてくれる気がした。

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      郵便箱

天狗の団扇


 楓なのだろうか。余りにも紅く大きな天狗の団扇のような落ち葉をみっつ拾った。椛の紅葉はまだのようで、なんとかの小路と名の付いた径を行くと芙蓉の莟が眼に入った。夏の残りがこんなところにと笑い辺りをゆっくり見廻すと、樹木の間から今にも落ちそうな低い太陽が腕を伸ばし転がるように走ってきた。
 夏と秋と冬と、今はどの季節かと問われても答えられない。はっきりとしているものなんてそうないのかもしれない。けれど曖昧なものは時折其の輪郭を許されず、片隅ではない存在しないような場所に追いやられたりもする。
 拾った落ち葉を肩掛けのカメラバッグに差し込むと足を踏み出す都度揺れるのがわかり余程置いてこようかとも想ったけれど、其の侭食料量販店に行き買い物を済ませ家に帰った。
 天狗の団扇を拾ったと肆歳児のカエルの人形に見せると、少し怖がりきゅっと口を結ぶのが可愛らしかった。
 なんでここまでそうなったのかは判らない。確かにリンスを使用したのがいけなかったのだろうが、其の後伍日経ってもふけが出続けたままだ。おかしくなるときは急におかしくなる。そうして治るときも急に治る。そう云うふうにひたすら時間が過ぎるのを待てばいいものなら、流れに任せればいい。
 卓につきぼんやりと曖昧な輪郭のことを想っていると無性に泣きたくなってきたので、天狗の団扇を仰ぎ自分を慰めた。カエルの人形が生きていることは例え話に受け止められていい。けれど曖昧な輪郭が生きていることは例え話では済まされず、其の向こうで世界の軋む音がしていた。

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      郵便箱

郵便箱


 郵便箱にたまに差出人がわからず何も入っていない封書が入っている。消印もない手紙なので何の辺りから届いたのかも全くわからない。鳥が休もうとしたとき誤って封書が落ちたり、羊の鼻先があったたりした拍子にうっかり封書が入ってしまったりするときもあるだろうけれど、人が言葉の代わりに封書だけ置いていくこともあるかもしれないと想うと、郵便箱を外す気になれずにいる。
 そんな郵便箱に昨日差出人の無い手紙が壱通届いていた。

 言葉を貰うと云うことが其の人が自分の壱部を切り取り与えてくれるものだと気付くのに、あたしは随分時間が掛かった。沢山手紙を貰い沢山手紙を送っているうち神経が麻痺してしまったのだろうか。其れはとても恐ろしいことで、そうなると言葉はわかりやすく記号化されたものだけのものとなってしまう。自分でははっきりとわからないけれど、あたしは独特な言葉の捉え方をしているときがあるらしい。たぶん其れはものの考え方に因るものではないだろうかと想うのだけれど、同じひとつの言葉でも他人と意味が微妙に異なり頭を痛めたりしている。けれど、其れは言葉で会話しようとするからで、相手と会話しようとする人に其のことで頭を痛めたことは此れまで壱度もない。

 郵便箱に手紙を入れてくれた人は、季節のうつろいに想いを馳せるのが好きで旅も好きとの自己紹介があり、結びに寒さに負けずふぁいとですと書いてくださっていた。暗くなった電球の灯りを取り替えたようにあたしの胸は明るくなり、もし此の方が文を綴っているならふれてみたいと想った。
 どんな小さなことでも何かだいじにしている人、だいじにしようと想っている人、の持つ言葉(から読み取れるもの)が好きだ。そんな人の言葉にならない、言葉にしないものの隙間から覗く言葉(にうかがえるもの)はぬくい。

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      郵便箱

静かな町


 新幹線も止まる隣駅までよく歩いて買い物に行っていた頃を不思議に想った。インフルエンザの予防接種を受けに久し振りに隣駅まで行ったけれど、特に何を見るでもなく帰ってきた。態々騒々しい町まで出掛けなくても此の町で今は事足りる。それだけ周囲に建物が増え賑やかになったとも言えるけれど、ぶらっと買い物に出られるのはいいし、通りから外れれば静かで誰も歩いていない道が幾らでもあるのもいい。
 壱日弐日と人に逢わなくてもあたしは平気で、鳥や草や風や川に逢えれば其れで愉しいと想ってしまう。だからと言い他人と全く交流が無いのも駄目で、弐言参言でいいのでときどき言葉を交わすのがいい。誰もいないのが好きなのでなく、ひたすら静かなのを好む。
 帰ってきてベッシー・スミスのSt.Louis Bluesを聴いた。ルート66も随分変わったのだろうが、変わる前も寫眞でしか知らず、廃れた町をただ想い浮かべている。
 悲しみが樹木に止まっている町は悲しいのだろうか・・・。けれど、悲しみも樹木に止まっていない町はそれよりうんと悲しく想える。

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      郵便箱