日々の雑感、他愛ないこと。印のように記してみたり。日々の呼吸を此処に。 忍者ブログ

冬の朝


 加湿器に家人がエッセンシャルオイルを入れたのだろう。目覚めると部屋にライムの香が拡がっていた。
 朝は苦手。頭が重い。けれど朝は好き。其れが冬なら尚更のこと。

 薄い記憶しか持たないあたしが、最後に父が暮らした家の間取りをはっきり憶えている。裏口と浴室の間に置いた弐層式の小さな洗濯機の奥の窓が陽射しに染まるまぶしい冬の朝が、或の家のあたしの好きなものだった。浴槽の残り湯をバケツで汲み、洗濯機に入れる都度あがった湯気さえいとおしいと想っていた。表玄関の先にある塵置き場に大きなビニイル袋を引き摺るようにして持っていくとき、通りを走るかのように冬の低い陽射しがアスファルトを照らす様がまぶしく、其れだけで自分は生きているのだと感じられた。昨夜の味噌汁の残りで粥ばかり食べていた朝御飯が今となってはなつかしい・・・。
 ・・・なつかしい感情が息苦しくなるほど胸を締め付けるものだと知ったのはいつだったろう。父がいってしまってから知ったことは沢山あって数え切れない。
 気付けば冬の朝に父の記憶が拡がっていた。

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淡雪


 余りに冷えていた部屋の空気に外の様子見ようと硝子戸を開けると、いつもの景色いっぱいに小さな白い粒が拡がっていた。白い粒がちらちらと動きながら降りていくのを見て、初めて其れが雪だとわかった。まさか降るなんてちっとも想っていなかったので、ただただみつめるばかりだった。道理で冷えていたわけだ。
 一旦戸を閉め温かくしようとショールを取りに部屋の奥へ行き、また戸の方へ行こうとすると硝子の向こうがふいにきいろに染まった。今度もまさかと想うと、きいろは間違いなく陽射しの色だった。
 淡雪と言うにも余りにも呆気なく果敢無い雪だった。外を見ようなんて想わなければ気付くこともなかったろう。
 嬉しくて泣きたい気持ち・・・。今朝のちょっとした出来事が玩具箱の宝物のようになって胸を飾っている。

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陽射しと回帰と


 昼を過ぎると窓がオレンヂ色に染まるようになった。和室から消えた陽射しが戻ってきた。全く照らないのは、ひと月余りに過ぎない。そろそろ花瓶に挿す花を求めてもいいだろうか。先日花屋の店先に、ひなげしだったかアネモネだったかはなきんぽうげだったかが活けられているのをちらっと見掛けた。
 花の代わりに机に置いた蜜柑や柚子が入れ替わる日も遠くないだろうと想っていると、今日買い物から帰ると玄関先の階段に陽射しが落ちていた。「キクとハシ」の鉢植えもじき外へ出せるようになるだろう。
 戻ってくるのは鳥ばかりでなく、陽射しばかりでなく、自身も何かに戻るのかもしれない。弐月は寒がいっとう厳しいのに、毎年壱月に春を感じ、身を正そうとする。年が変わったせいだろうとずっと想ってきたけれど、そうではなかったように想う。
 先へ先へ、遠くへ遠くへと、人は未知なるものを求め歩いていこうとするけれど、其の行為は自身へ回帰するものに他ならない。あたしの足元は何でできているだろう・・・。そう考えると過去から受け継がれてきたものに上書きするよう暮らしていきたいと、日々に想いを馳せずにいられない。

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花に染む


 今日になって知った新刊は最終巻でもあった。時間だの命だのと想像力だのと云うものが描かれていて、くらもちふさこさんの漫画の中でも壱番好きなものになった。時間だの命だのが描かれていると言え押しつけがましくなく、其れをだいじにしようなどと云う単にありきたりなものにもなっていなく、何よりあくまで日常を描きつつ少女漫画の中に納めているのが好きだ。大仰な話にすることは幾らでもできるだろうに、日常を描いた少女漫画の中に納めているのは、くらもちふさこさんの持つ技量であり感性でもあるだろう。
 時間も命も自己も他人との繋がりも誕生も老いも伝統も暮らしも政治も悲しみも悦びも狂気も殺人も争いも死も・・・、みな日常にある。其れらは特別なものでなく、物心のつく年齢にもなれば自分の周りにそう云うものが存在することがわかってくる。笑いながらお菓子を食べながら歩きながらも、何らかと人は繋がっていて自分と其れとに隔たりがあるわけもなく、其れらを口にするに声高になる必要も無く大袈裟にする必要も無い。
 続いていく命、続いていく暮らし、続いていく世界・・・。過去から受け継ぎ伝えた男、と墓標に、と言うキース・リチャーズをふと思い出したり、(普通なんてない、と言うのもわかるけれど)普通が壱番いいと言う人を改めて想ったりもした作品だった。
 時間も命も自己も他人との繋がりも誕生も老いも伝統も暮らしも政治も悲しみも悦びも狂気も殺人も争いも死も・・・、重い荷物にしたくない。あたしの隣に存在するものについて、改まってなんて話をしたくない。

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閉じる日


 何時サイトを閉じるか、日記はどうしようか、秋から考えている。
 頭の中にぼんやりとあったのは、平成参拾弐年拾弐月に閉じる、だった。なにせぼんやりとだったので、着地点もまだ曖昧な形でしか描けてなく、これから急いで考えながら形にしていかなければならないのかと想うと、のんびりしている自分でも多少は焦りを感じている。

 言葉を信用していない自分が言葉で何をしたかったか・・・。
 ひとつはくらもちふさこの漫画に感じた、言葉で全て説明しないと云うもの。ひとつは川端康成の北國に感じたもの。ひとつはクリント・イーストウッド監督に感じたもの。そしてもうひとつは全く個人的なもので、其れは誰にわかって貰おうとか他人を感動させたいとかと云うものから遠く離れたものであると同時に、何処に存在するかもわからない誰にわかって貰おうとか他人を感動させたいとかと云うものについて同じようなことを想い何かをし続けている者を頭に描き書いていた。

 閉じる日は区切る日、大きな点を記す日、次の点へ向かう日。
 中途半端な点にしたくない。

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